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プロダクションノート

35年にわたる2人の関係性を、
晩年のツアーという視点から分析。

これは“友情”と“”の物語

本作には、脚本を担当したジェフ・ポープのローレル&ハーディへの愛情が詰まっている。BBCで放映されていたテレビ番組で、二人の短編映画を観ていたポープは、15年前にDVDボックスセットを贈られたことをきっかけに、二人の実際の物語について調べ始め、A.J. マリオットの著書「Laurel & Hardy: The British Tours」で、1950年代初頭に二人が英国のホールを回っていたことを知る。「かつて大物だった二人が、新人のような過酷なツアーをする。その理由は、二人がお互いを大好きだったからだ。でも、本人たちは、そのことに気づいていなかった。この映画は、二人の友情、愛の物語だ」。プロデューサーのフェイ・ウォードもポープに同意する。「この映画は二人の親友を本質的に描いている。人生が終わる時に、それが終わりだと気づくことなくただ側に親友がいたのよ」
ポープの脚本には、二人のキャラクターの裏側に見える真実も描かれた。作品だけをみると、主導権を握っているのはオリバーのように見えたが、制作という側面でクリエイティブな発案をするのはスタンであり、制作のあらゆる面を監督する役目を担った。オリバーは、撮影が終わるとすぐに仲間とゴルフに行っていた。
二人は長年、相方として互いに友好的ではあったものの仕事仲間でしかなかった。ポープはこう結論づけている。「二人は厳しいツアーをこなし、毎週毎週、金銭的な面を含んだ苦労を共にするまで、これほど親しくなることは決してなかった。この映画の見どころは、実生活の二人がどのように親しくなっていったかということにあるんだ」

場面写真
★ ★ ★

ジョン・S・ベアード監督の
熱意ダイナミック

場面写真

ポープは、ジョン・S・ベアードに脚本を送った。ローレル&ハーディのコメディを見て育ったというベアードは、この映画にうってつけのエピソードを持っていた。「実は友人と一緒に学校の仮装ショーにローレル&ハーディで参加し、その時に撮った写真を今でも持っている。私はスタンで、友人はオリバー。太ったように見せるため、友人はたくさんのパッドを衣装に詰め込んでいたよ」その後、フェイ・ウォードがプロデューサーとなり劇場公開へ向けて動き始める。「この映画がローレル&ハーディを描いた映画ではなかったとしても、ここには共通の何かを目指して一緒に生きてきた親友たちが描かれていた」とウォードは語る。「脚本を読んですぐ、この映画の可能性を明確に感じ取れたの」

撮影が始まる直前、ベアード監督は、虫垂炎で緊急手術を受けたが、1週間で現場に戻った。撮影中、キャスト&スタッフは、ベアードの明快な指示に好印象を抱いた。スティーヴ・クーガンは、「素晴らしかった。指示も非常に具体的ではっきりしていた」と評価、ジョン・C・ライリーは、ベアード監督の情熱に魅せられ「ベアードは、私と語り合うことで、私にこの映画をやり遂げられるという自信を持たせてくれた。彼は確固たる信念を持ち、ブレることがなかった」と感謝している。

ベアード監督は、オープニングで、楽屋から出たスタンとオリバーが、ハリウッドの映画スタジオの区画を横切り、ハル・ローチ と口論を始めるまでの、6分間1カットのトラッキングショットではじめるという演出で、観客を一気に劇中に引き込む。「ハリウッドの雰囲気を入れたかっただけ。そこから映画全体へとつなげていく必要がある。自分自身にも挑戦してみたいと思ったんだ」。俳優たちは長セリフを強いられたが、軽やかにその期待に応えた。

場面写真
ローレル&ハーディ

★ローレル&ハーディ

スタン・ローレル  
(1890年6月16日―1965年2月23日)
オリバー・ハーディ 
(1892年1月18日―1957年8月7日)

1927年から1950年にかけて107本もの映画に出演し(無声短編映画32本、短編40本、長編23本、ゲスト出演12本)、1932年「The Music Box」で第5回アカデミー賞短編映画賞を受賞。
サイレント映画のスターが、トーキーに移行して成功を収めるケースは稀だったが、ローレル&ハーディは、サイレント時代からのパントマイム的なギャグコントを続けながら、熟達した言葉遊びも取り入れていく。かみ合わないズレから、互いに笑いを伝染させていく関係と、シンプルながらも細部まで磨き上げられたルーチン、ボケとツッコミの役割分担など、これまでにないスタイルを確立。チャップリン、バスター・キートンと並んで、世界中のファンから愛され称賛され、後世に大きな影響を及ぼす。今日、二人の影響を受けていないコメディアンはほとんど存在しないと言われている。
現在にも熱心なファンがおり、3館の博物館、ファンクラブ「Sons of the Desert」が存続。ドイツでは「Dick und Doof」、ポーランドでは「Flip i Flap」、ブラジルでは「O Gordo e o Magro」という名で親しまれるなど、世界中で愛されている。ローレル&ハーディ日本でも当時は「極楽コンビ」という愛称で親しまれ、公開作品は「極楽」が付けられることが大半だっ た。
オリバー・ハーディ死後の1960年、スタン・ローレルは、ゲイリー・クーパーと共に、第33回アカデミー名誉賞を受賞。

★ローレル&ハーディ オフィシャルサイト(英語のみ)
http://www.laurel-and-hardy.com/

★ハル・ローチ 
(1892年1月14日―1992年11月2日)

ハリウッド初期に活躍したコメディ映画の製作者。チャールズ・チャップリンを見出したマック・セネットと並び称される。 1915年、ハロルド・ロイドの主演映画を製作する為の製作会社を設立。1926年、それまで別々に活躍していたスタン・ローレルとオリバー・ハーディに、コンビを組ませる。他の代表作に「ちびっ子ギャング」シリーズなど。
1983年、第56回アカデミー名誉賞を受賞。

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